京都地方裁判所 昭和55年(わ)495号 判決 1982年4月28日
主文
被告人金子昭を懲役一年六月に処する。
この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、その二分の一を被告人金子昭の負担とする。
被告人桝谷哲哉は無罪。
理由
第一被告人両名に対する主位的訴因について
検察官は、被告人両名に対する主位的訴因として昭和五五年四月三〇日付起訴状記載の公訴事実を主張する。
右公訴事実は、要するに、昭和五四年一〇月一四日午前四時二分ころの京都市左京区浄土寺西田町七二番地先交差点における被告人両名運転の普通乗用自動車の衝突事故(以下本件事故ともいう)は、被告人両名(以下各被告人ともその姓のみで指称することもある)が白川通の同一車線(南行車線)を走行して右交差点に至つた際に発生したことを前提とするものであるが、後認定のとおり、金子運転車両が白川通の北行車線を逆進して南行していたことが明らかであつて、その余の点について検討するまでもなく右主位的訴因たる公訴事実については、その基本的前提たる事実の証明を欠き犯罪の証明がないことになる。
そこで、以下検察官主張の予備的訴因につき各被告人ごとに判断することとする。
第二被告人金子昭に対する予備的訴因について
(罪となるべき事実)
被告人金子は、自動車運転の業務に従事するものであるが、相被告人桝谷らとともに、いわゆる暴走族グループ「地獄道」に属して、毎週土曜日の深夜から翌日曜日の早朝にかけて集団で普通乗用自動車や自動二輪車の走行を繰り返していたところ、昭和五四年一〇月一三日午後一一時ころから順次比叡平に集合し、被告人金子及び同桝谷はそれぞれ普通乗用自動車を運転し、他の普通乗用自動車五、六台及び自動二輪車四、五台とともに京都市内を数回集団で走行した後、翌一四日午前四時二分ころ、桝谷運転車両を先頭にして、さらに比叡平から府道下鴨大津線を下り、京都市左京区浄土寺西田町七二番地先交差点の北約五〇〇メートルの地点から白川通に入りこれを南下して右交差点に向かうに際し、右桝谷車両をはじめ他の車両が南行車線を通行したのに、右白川通の北行車線に入り、これを反対方向に南進して交通整理の行なわれている右交差点にさしかかり、同交差点の青色信号にしたがい直進しようとしたが、自動車運転者としては道路を南進するに際しては、道路の左側南行車線を通行するは勿論右道路には交差点直前まで植樹された中央分離帯があつて同交差点の左方部分及び南行車線の見通しが困難であるから、あえて道路右側の北行車線を南行する以上は、同交差点の手前で一時停止又は徐行して、道路左側の南行車線から西方に向かい右折してくる車両の有無及びこれとの安全を確認して進行し、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、北行車線を制限時速をこえる時速約七〇キロメートルで直進し、漫然右交差点に進入した過失により、折から前記道路の南行車線を南進し西方に向かい右折しようとして右交差点に進入してきた前記桝谷運転車両を約八メートル前方に至つて初めて認め、急停車措置を講じたものの及ばず、自車左前部を右桝谷運転車両の右側後部ドア付近に衝突させ、よつて、右桝谷運転車両に同乗していた岡本浩之(当時一九歳)に対し、全身打撲等の重傷を負わせ、同日午前四時五二分ころ、同市上京区釜座通丸太町上る春帯町三五五の五京都第二赤十字病院において同人を右傷害により死亡するに至らしめ、右桝谷に対し加療約一五九日間を要する右肩打撲、頸部捻挫の傷害を、自車に同乗していた小川千奈津(当時一七歳)に対し、加療約九五日間を要する左上腕骨骨折等の傷害を、同山下道治(当時二〇歳)に対し、加療約五日間を要する顔面打撲等の傷害をそれぞれ負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人金子の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、右は一個の行為で四個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、一罪として犯情の最も重い岡本浩之に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人金子を懲役一年六月に処し、後記情状を考慮して同法二五条一項を適用し、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により、その二分の一を同被告人に負担させることとする。
(量刑の事情)
本件は、いわゆる暴走族グループ「地獄道」のメンバーが集団で白川通を南下する際、被告人金子が植樹された中央分離帯がありしかも深夜で南行車線を走行する車両の見通しが劣悪であるにも拘らず、仲間の車両以上のスピードで対向車線の北行車線を逆行して走行するという極めて無謀かつ危険な走行をした結果、同グループの仲間に対し一名の死亡者を含む重大な結果を生じさせたという事案であつて、当初仲間と一緒に真実の隠蔽を画策したことも考えると、その刑事責任は極めて重大であるといわなければならない。
しかしながら、他方、本件被害者らは、いずれも共に本来危険この上ない暴走行為に加わつていた仲間であり、とくに死亡した岡本浩之は、本件事故当時車のドアの窓に腰かけ、上半身を車外に乗り出す俗にいう箱乗りという極めて危険な乗車方法をとつていたことが窺われ、本件の結果を招来するについては被害者岡本自身にも多大の落度があつたとみられること、先頭を走つていたリーダー格の相被告人桝谷らにも行先が周知徹底されたか確認を怠つた点等リーダーとしての落度が多分に認められることなどの諸事情を考えると刑事上の責任はともかく本件事故の発生についてひとり被告人金子のみを責めることは酷に過ぎ、相被告人桝谷をはじめとする他のメンバーにおいても十分の反省を要するとみられること、すでに被害弁償がなされていること、これまでに速度超過で罰金刑に処せられた以外には格別の前科もなく現在は本件を反省し、事件後はガソリンスタンドに勤務し、まじめに働いていること、いまだ若年で更生の可能性があることなど同被告人に有利な事情も認められるので、これらの諸事情も総合考慮して主文のとおり量刑した次第である。
第三被告人桝谷哲哉に対する予備的訴因について
一同被告人に対する予備的訴因は、「被告人桝谷は、自動車運転の業務に従事しているものであるところ、昭和五四年一〇月一四日午前四時二分ころ、普通乗用自動車を運転し、京都市左京区浄土寺西田町七二番地先道路を南進中交通整理の行われている交差点にさしかかり、同交差点を青色の信号に従い北方から西方に向かい右折しようとしたが、自動車運転者としては、運転中は公安委員会の指定する最高速度四〇キロメートル毎時を遵守するはもとより、当時金子昭ら一〇数名とともに普通乗用自動車及び自動二輪車約一二台を連ねるなどしながらいわゆる暴走行為をしており、これらの車両が道路右側部の対向車線上を南進して自車右後方から追い上げてくることが十分予測できたのであるから、更に減速、徐行し、対向車線上を南進してくる車両の有無並びにその安全を確認し、状況によつては右折を断念し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右指定最高速度を超える時速約六〇キロメートルの高速度で進行したうえ、対向車線上を南進して自車右後方から追い上げてくる車両の有無並びにその安全を全く確認しないまま、わずかに減速したのみで漫然右折を開始した過失により、おりから対向車線上を南進してきた金子昭(当二〇年)運転の普通乗用自動車に気づかないまま自車右側後部ドア付近を右金子昭運転の普通乗用自動車の左前部に衝突させ、よつて、自車に同乗していた岡本浩之(当一九年)に対し全身打撲等の重傷を負わせ、同日午前四時五二分ころ、同市上京区釜座通丸太町上る春帯町三五五の五京都第二赤十字病院において、同人を右傷害により死亡するに至らしめ、右金子昭に対し加療約一〇日間を要する頭部外傷Ⅰ型等の傷害を、右金子運転車両に同乗していた小川千奈津(当一七年)に対し加療約九五日間を要する左上腕骨々折等の傷害を、同山下道治(当二〇年)に対し加療約五日間を要する顔面打撲等の傷害をそれぞれ負わせたものである」というのであり、右訴因事実は、取調べた関係証拠によると検察官主張の注意義務違反の点を除き、ほぼこれに副う事実を認めることができる。
二そこで、以下右注意義務違反の存否を検討するにつき、さらにその事実関係を詳細にみてみると、
(1) 桝谷、金子らいわゆる暴走族グループ「地獄道」のメンバーは、本件事故当時五、六台の普通乗用自動車と数台の自動二輪車を連ね、本件事故現場から約五〇〇メートル北方に位置する喫茶店「ジュネス」角の交差点から白川通に入つたが、その時点では、金子車両は後ろから二台目位に位置しており、白川通に入り他の車両が桝谷車両を先頭に時速約六〇キロメートルで南行車線を南進したのに対し、金子車両のみが直ちに対向車線の北行車線に入り、時速約七〇キロメートルで同車線を逆行して南進走行し、本件事故現場から約二五〇メートル程手前の地点で、先行して桝谷車両の後方約五メートルを走行していた山口賀瑞雄運転車両とほぼ並行して走行するに至り、右山口車両の前方に桝谷車両のボンネットと思しきものを確認したが、金子は、桝谷車両がそのまま本件事故現場の交差点を直進するものと考え、前記速度のまま右交差点に進入し、右折してきた桝谷車両に追突して本件事故が発生した。
(2) 桝谷は、右金子車と衝突するに至るまでの間には、金子車が北行車線上を進行していることには全く気付かず、右折に際し少なくとも本件事故現場交差点の手前約三〇メートルに至るまでに、後方の南行車線の状況を確認のうえ方向指示器により右折の合図をしてやや減速し、南行車線の右側に寄つて走行し、対面信号機が青色を表示していることを確認して右交差点に進入すると直ちに道路上に表示された右折マークの内側を右折しようとした。
(3) 本件事故現場付近の白川通は、南北に通ずる車道総幅員約17.05メートルの直線のアスファルト舗装道路で、幅約1.90メートルの中央分離帯により、幅員約8.50メートルの南行車線(二車線)と幅員約6.65メートルの北行車線(同じく二車線)とが分離され、右中央分離帯には地上高約九〇センチメートルの灌木が植樹されてグリーンベルトとなつており、桝谷車両の車高は約1.30メートル、金子車両の車高は約1.38メートルであるから、両車両が右グリーンベルトをはさんで走行すると、車両の相当部分がグリーンベルト上の植木に隠れる格好になる。そして、夜間においては双方の車両の位置関係によつては右グリーンベルトの切れ目から南行車線を走行する車両のドアミラーに北行車線を逆進して来る車両のヘッドライトが写る場合もある(但し、双方の車両とも走行状態にある以上そうした位置関係を生じること自体極めて偶然の要素が強いのみならず、仮にそうした位置関係を生じてもごく微少の時間帯にあると考えられる。)。
(4) 白川通は、桝谷、金子ら暴走族グループの走行コースの一つに含まれていて、桝谷自身白川通で対向車線を走行した経験も有し、しかも両名とも本件事故現場交差点はこれまでに何度も通過しており、時には同交差点を右折することもあつたが、同交差点を直進するのが通常であつた。両名が本件事故に遭遇したのは事件当日の第三回目の走行の際であるが、前二回の走行の際はいずれも同交差点を直進している。この第三回目の走行に当たつては、リーダーの桝谷、副リーダーの小林において、集合場所であつた比叡平で仲間の者達にその行先は仲間の一人が収容されている川端通の少年鑑別所付近であり、その進路は同交差点を右折進行して行く旨指示したことはあつたが(小林は当公判廷で白川通に入る直前にも同様の指示をした旨供述するが、後の金子の行動に照らして考えれば、小林の右供述内容の信用性には多大の疑問がある。)、右指示は仲間の全員に周知徹底されておらず、現に金子車両に乗車していた者らは、右行先さえ知らず、通常どおり同交差点を直進するものと考えていた(金子が右集合場所に集合したか否かということ自体証拠上必ずしも判然としない。)こと等
の各事実が認められる。
三右認定事実に基づきその注意義務違反の点を考えるに、桝谷車両においては、制限速度を超過していた点及び右折に当つて指定部分よりも内回りをした点などのことがみられ、必ずしも道路交通法規を遵守してはいないが、それがいずれも本件事故の結果に直結しているとはいえない。そのことは桝谷車両の直後を走行し同様の右折方法をとつたと推測される山口車両が本件事故に巻き込まれていないことをみれば明らかである。むしろ、前叙したところからも明らかなように本件において結果発生の直接の原因となつた事実は、金子車両が対向車線の北行車線を逆行して走行したこととみなければならない。
そこで、問題は、桝谷において金子車両のこうした無謀な走行を予見することが可能であるか否かということになるが、前記(3)で認定した本件の道路状況ならびに、桝谷やこれに後続する集団員の各車両と金子車の走行状況、ことに金子がグリーンベルトをはさんで走行していたため桝谷においてその動静を認識できない事実関係にあつたなどの客観的諸状況をみるときは、およそ運転者一般の客観的予見可能性の有無の問題として考える以上、特段の事情のない限り、本件事故現場交差点で右折しようとする車両の運転者が対向車線を後方から逆進して追随して来る車両のあることを予見するのが極めて困難であり、この事実を前提にして桝谷に予見義務があるといえないことについては多言を要しないであろうし、検察官の所論もそれを当然の前提にしているものと考えられる。
検察官が本件において強調するのは、本件があらゆる交通法規違反行為を繰り返しながら走行することを常態とする暴走族グループに属する者が現に暴走行為中に惹起した事故であつて、桝谷においては仲間の者が交通法規に違反して対向車線を逆行してくることもあり得ることは十分に予測可能であつたのであり、本件においては前述した「特段の事情」が認められ、行為者個人すなわち桝谷の主観的予見可能性を考える限り、これを肯定することができるという点にあるとみられる。そして、前示のとおり桝谷自身本件と同じ白川通で過去に対向車線を走行した経験もあり、右グループの中には一日の暴走のうち数回対向車線に出て走行する者もあること、本件事故当時被害者岡本浩之が車外に身を乗り出すいわゆる箱乗りをしており、自動二輪車数台が蛇行運転していたことなど検察官の所論に符合する事実も証拠上一部認められないわけではなく、右所論はそれなりに首肯できる部分を含んでいると言わなければならない。しかしながら、次に述べる理由から検察官の所論は結論として採用することができない。
すなわち、第一にここで問題としている予見可能性は自然的事実的予見可能性ではなく、刑法的な意味における予見可能性であるから、本件についていえば仲間の誰かが対向車線を逆行してくるのではないかといつた漠然とした予感、危惧感では足りず、そのようなことが現実に起こり得ると考えるに足りる具体的客観的状況がない限り予見可能性は肯定し得ないものである。そのことは交通法規違反行為を繰り返しながら走行することを常態とする暴走族グループに属する者らに対しては、その事態の状況いかんにかかわらず常に仲間の誰かが何時いかなる時点においてもあらゆる交通法規違反行為に出ることをも予見せよと要求することとなり、あまりにも酷に失し相当でないこと論を待たないところであろう。したがつて、検察官の所論が妥当するためには、本件について言えば例えばグループ全体として暴走が開始され一部の者が現実に対向車線を逆行して走行するというような事態が生じ、そうした一般的事態の認識の下において、すくなくともリーダー格でその集団の先頭を走行する桝谷において、その所属集団員の中にその危険行為に出ることの高度の可能性があると認められるような具体的客観的状況の認識若しくはその可能性が存在することが不可欠の前提となろう。
第二に前述した視点に立つて考えてみても、そもそも本件事故当時桝谷、金子らのグループ全体が検察官主張のように集団としてあらゆる交通法規違反行為を繰り返すといつた走行状態にあつたと断定するに足りる証拠はなく、かえつて被告人らを含む同グループの者らの公判廷の供述に徴すると、各車両の具体的走行状況の詳細は確定できないものの、多少の危険な走行状態は一部にみられたとはいえ、全体としてはリーダーらによりある程度統率がとれた走行状態にあつたのではないかとの疑問を払拭することができないし、他に桝谷において対向車線を逆行して走行してくる者が現実にあり得ると予測し得るに足りる具体的客観的状況は全証拠を仔細に検討しても認められない。そうとすれば、桝谷において金子が対向車線の北行車線を逆行して走行してくることを予見することは不可能であつたといわなければならない。むしろ、金子車の行動は集団員のすべての者についてみても予想外のものであつたといつてよく桝谷がこのことについて予見を欠いたとしても同人に注意義務違反を認めることは相当でない。したがつて、右予見に基づいて減速、徐行ないし対向車線上を南進してくる車両の有無並びにその安全を確認しなかつたことについてはその過失を認めることはできない。
四以上のとおり、被告人桝谷については主位的、予備的いずれの訴因たる公訴事実についても犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により同被告人に対して無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(西村清治 小澤一郎 石井忠雄)